Musical Review『レザネ・フォール』~愛と幻影の巴里~@東京厚生年金会館、11月21日(土)15時を見て参りました。東京で3回ある公演の真ん中の回。
宝塚OG公演と言うことで、出演者は鳳蘭、麻路さき、湖月わたる、彩輝なお、星奈優里等々の元タカラジェンヌ、プラス黒一点の福井貴一。構成・演出は大野拓史。
と言う訳で。
大野君趣味に走りすぎ!と唖然、いやむしろ大喜び(笑)。
そもそも「パリで諜報活動中に官憲に追われレビュー小屋に逃げ込んだ甘粕大尉(福井)が、日本からレヴューを学びに来る手筈になっていた白井鐵造に間違えられ、そのまま白井として潜伏することに」と言う設定だけでいかにも大野君。
そして彼を迎えるレビュー小屋の面々は、誇り高き美貌の花形スター(星奈)、彼女の恋人で包容力ある穏やかな男役スター(麻路)、その妹でやはり男役だが諜報活動にも通じている謎の女(彩輝)、彼女たちをまとめて小屋を切り盛りする剛毅で底知れないところのあるマダム(鳳)、マダムと甘粕だけにしか見えない夢魔(湖月)。そして可憐な踊り子にして聖母のような笑顔と強さを湛え、甘粕の過去を呼び起こす娘(南海まり)。
基本的な構成は『ACHE』に似てます。最初に甘粕の状況説明的モノローグはあるけれど、華やかなレビューショーから芝居に移行し、芝居の終了からまたレビュー、という。そう言えば1幕幕切れの仕方も似てるかも(さえちゃんが正体を現して2幕への引き、という)(笑)。
ファシズムが台頭する世相や大杉栄暗殺など歴史上の事実を絡ませ、宝塚レビュー、そして「すみれの花咲く頃」に繋げる手際にはクスリとさせられつついつもながら上手いよなと。そしてアジールである芝居小屋ではしばしば夢とうつつが曖昧になり、鬱屈してどこにも行けないまま迷い込んだ男は幻影の中で自分の罪を呼び起されて立ち尽くす。しかし最後の最後には、そこに込めた大野君の宝塚への真摯な思いに泣かされて。
で、その後のレビューは圧巻のツレ様オンステージ(笑)。だって「奥様お手をどうぞ」でツレ様が客を口説いてダンスに誘って一緒に踊っちゃうんですよ! ムッシュもマダムもなんでもござれですよ! 更に「ろくでなし」とか「セ・マニフィーク」とかとか。
トークも絶好調でした。マリコサエコを「本当に何も考えてないでしょ!」いじる様子を見ていると、ツレ様にとってこの二人は樹里ぴょんにとってのまさこみたいなもんなんかなーと思ったり(笑)。あ「もし百万円当たったら」に結婚資金と答えたら笑われて「失礼です!」と地団駄を踏む優里姫も最高でした(笑)。
レビューはOGの娘役諸嬢(レビュー小屋の踊り子さんたち)がみんなきれいで所作や姿が美しくて魅力的で、やっぱり宝塚ってすごいなあと思わせられました。ああいうひとたちを輩出する世界というのはすごいと思った。
と言う訳でとても楽しかったのですが、これ演目としてはどうなのかなあ、と思わなくもないです。私は大野芝居もベタベタな宝塚ショーもどっちも大好物だからいいんですけど、宝塚OG公演(宝塚ではないけれど宝塚っぽいものを見せますよ)として地方を回るには、ちょっとこの芝居は客層に合わないんじゃないだろうかと(苦笑)。耽美でオタクでうっすらと中二病テイストも漂いつつ蘊蓄に支えられた芝居。いやテーマは間違いなく宝塚愛なんだけども。あと大野君はOG公演だと宝塚じゃないからと考えるのかすみれコードをぶっちぎることがありますが(今回の同性愛恋人設定とか)、OGファンは現役宝塚ファンよりもむしろ保守的なことがあると思うのでそれはどうなんだろうかと。
最後カーテンコールで、レビューには出ていない福井さんが「ツレちゃんの迫力で(自分が出ていた)地味な芝居が全部吹っ飛んだやないですか」と言ったらツレ様「あー地味な芝居、ハハハ」とバッサリ。
いや、うん、こういう企画ならむしろ狸御殿の方がいいのかもしれない。
でも私は楽しかったのでこれでいいんですけど(笑)。
個人的に、最初のレビューシーンのカンカンにやられました。だってフェット・アンペリアルの衣装!歌も同じ!おまけにみなみがいる!! いやここで泣いたら変な人なので堪えましたが。
と色々書きましたが実は踊りまくるワタさんにほぼオペラ固定でした。
夢魔。プログラムによるとサキュバス。現の人ではなく男でも女でもない、普通の人には見えない存在で常に舞台の隅であるいは中央で踊り、佇み、人々の間を泳ぐ。
……すごい格好いいんですけど(素)。
その動きとか、立ち姿とか、指先の表情とか。うっかり、現役時代よりダンス上手くなった?とか思ってしまったけれど(いや実のところダンスの良し悪しなんてよくわからないんだけれど)、男役でなくなって男らしく見せようと心がける必要がなくなったので、単純に純粋にきれいに見えるようにできるのかなと。そんなことも思いました。いやほんとすごい格好良かった(所詮ファンですから)。
黒髪のラフな感じのロン毛で衣装は黒に赤を利かせたアニメテイスト軍服(齋藤ショーというより石田ショーに出てきそうな感じ)ですがそのキッチュな感じが芝居小屋の猥雑さには合っていたのかもな。燕尾風の裾を翻すのがこれがまた。上着を脱ぐとピンクのビスチェにもなります(笑)(何故笑う)。
黒と赤はタナトスとエロス、レビューに関わる人間たちの愛憎、渦巻く情念から生まれた夢魔。とか書く奴だからこういうの好きな訳ですよね自分も(苦笑)。
あと、他の元男役の皆様は芝居で女性設定なのに一人だけ違う(中性)なのが流石だなあと思いました(って何が・笑)。
最後のレビューシーンではあまり出てこないのは、「これはお芝居の続きですよ」という大野君のこだわりなのだろうなあ(人外だから)、と私は理解しました。
以下、ストーリーのネタばれになるので念のため畳みます。
宝塚OG公演と言うことで、出演者は鳳蘭、麻路さき、湖月わたる、彩輝なお、星奈優里等々の元タカラジェンヌ、プラス黒一点の福井貴一。構成・演出は大野拓史。
と言う訳で。
大野君趣味に走りすぎ!と唖然、いやむしろ大喜び(笑)。
そもそも「パリで諜報活動中に官憲に追われレビュー小屋に逃げ込んだ甘粕大尉(福井)が、日本からレヴューを学びに来る手筈になっていた白井鐵造に間違えられ、そのまま白井として潜伏することに」と言う設定だけでいかにも大野君。
そして彼を迎えるレビュー小屋の面々は、誇り高き美貌の花形スター(星奈)、彼女の恋人で包容力ある穏やかな男役スター(麻路)、その妹でやはり男役だが諜報活動にも通じている謎の女(彩輝)、彼女たちをまとめて小屋を切り盛りする剛毅で底知れないところのあるマダム(鳳)、マダムと甘粕だけにしか見えない夢魔(湖月)。そして可憐な踊り子にして聖母のような笑顔と強さを湛え、甘粕の過去を呼び起こす娘(南海まり)。
基本的な構成は『ACHE』に似てます。最初に甘粕の状況説明的モノローグはあるけれど、華やかなレビューショーから芝居に移行し、芝居の終了からまたレビュー、という。そう言えば1幕幕切れの仕方も似てるかも(さえちゃんが正体を現して2幕への引き、という)(笑)。
ファシズムが台頭する世相や大杉栄暗殺など歴史上の事実を絡ませ、宝塚レビュー、そして「すみれの花咲く頃」に繋げる手際にはクスリとさせられつついつもながら上手いよなと。そしてアジールである芝居小屋ではしばしば夢とうつつが曖昧になり、鬱屈してどこにも行けないまま迷い込んだ男は幻影の中で自分の罪を呼び起されて立ち尽くす。しかし最後の最後には、そこに込めた大野君の宝塚への真摯な思いに泣かされて。
で、その後のレビューは圧巻のツレ様オンステージ(笑)。だって「奥様お手をどうぞ」でツレ様が客を口説いてダンスに誘って一緒に踊っちゃうんですよ! ムッシュもマダムもなんでもござれですよ! 更に「ろくでなし」とか「セ・マニフィーク」とかとか。
トークも絶好調でした。マリコサエコを「本当に何も考えてないでしょ!」いじる様子を見ていると、ツレ様にとってこの二人は樹里ぴょんにとってのまさこみたいなもんなんかなーと思ったり(笑)。あ「もし百万円当たったら」に結婚資金と答えたら笑われて「失礼です!」と地団駄を踏む優里姫も最高でした(笑)。
レビューはOGの娘役諸嬢(レビュー小屋の踊り子さんたち)がみんなきれいで所作や姿が美しくて魅力的で、やっぱり宝塚ってすごいなあと思わせられました。ああいうひとたちを輩出する世界というのはすごいと思った。
と言う訳でとても楽しかったのですが、これ演目としてはどうなのかなあ、と思わなくもないです。私は大野芝居もベタベタな宝塚ショーもどっちも大好物だからいいんですけど、宝塚OG公演(宝塚ではないけれど宝塚っぽいものを見せますよ)として地方を回るには、ちょっとこの芝居は客層に合わないんじゃないだろうかと(苦笑)。耽美でオタクでうっすらと中二病テイストも漂いつつ蘊蓄に支えられた芝居。いやテーマは間違いなく宝塚愛なんだけども。あと大野君はOG公演だと宝塚じゃないからと考えるのかすみれコードをぶっちぎることがありますが(今回の同性愛恋人設定とか)、OGファンは現役宝塚ファンよりもむしろ保守的なことがあると思うのでそれはどうなんだろうかと。
最後カーテンコールで、レビューには出ていない福井さんが「ツレちゃんの迫力で(自分が出ていた)地味な芝居が全部吹っ飛んだやないですか」と言ったらツレ様「あー地味な芝居、ハハハ」とバッサリ。
いや、うん、こういう企画ならむしろ狸御殿の方がいいのかもしれない。
でも私は楽しかったのでこれでいいんですけど(笑)。
個人的に、最初のレビューシーンのカンカンにやられました。だってフェット・アンペリアルの衣装!歌も同じ!おまけにみなみがいる!! いやここで泣いたら変な人なので堪えましたが。
と色々書きましたが実は踊りまくるワタさんにほぼオペラ固定でした。
夢魔。プログラムによるとサキュバス。現の人ではなく男でも女でもない、普通の人には見えない存在で常に舞台の隅であるいは中央で踊り、佇み、人々の間を泳ぐ。
……すごい格好いいんですけど(素)。
その動きとか、立ち姿とか、指先の表情とか。うっかり、現役時代よりダンス上手くなった?とか思ってしまったけれど(いや実のところダンスの良し悪しなんてよくわからないんだけれど)、男役でなくなって男らしく見せようと心がける必要がなくなったので、単純に純粋にきれいに見えるようにできるのかなと。そんなことも思いました。いやほんとすごい格好良かった(所詮ファンですから)。
黒髪のラフな感じのロン毛で衣装は黒に赤を利かせたアニメテイスト軍服(齋藤ショーというより石田ショーに出てきそうな感じ)ですがそのキッチュな感じが芝居小屋の猥雑さには合っていたのかもな。燕尾風の裾を翻すのがこれがまた。上着を脱ぐとピンクのビスチェにもなります(笑)(何故笑う)。
黒と赤はタナトスとエロス、レビューに関わる人間たちの愛憎、渦巻く情念から生まれた夢魔。とか書く奴だからこういうの好きな訳ですよね自分も(苦笑)。
あと、他の元男役の皆様は芝居で女性設定なのに一人だけ違う(中性)なのが流石だなあと思いました(って何が・笑)。
最後のレビューシーンではあまり出てこないのは、「これはお芝居の続きですよ」という大野君のこだわりなのだろうなあ(人外だから)、と私は理解しました。
以下、ストーリーのネタばれになるので念のため畳みます。
最後、「日本にもこういう場所があれば」と甘粕はマダムに言う。夢を見せる場所。ひととき夢を見て笑顔と生きる力を取り戻す場所。そして「白井君が作ってくれるかな、そういう場所を」と笑う。
それは、大野君の宝塚への思いなのだと思う。それは夢を見せる場所だと思い、作り手の一人としてそういう場所を守って、作っていこうという意思。本当の意図は知る由もないし他の人がどう思うかはわからないけれど、少なくとも私はそう受け取った。
甘粕(史実ではなくこの物語の)の罪は大杉栄暗殺。大杉のフランス滞在時の恋人ドリィとの出会いが過去を呼び起こす。罪は殺したこと、そして殺した時に高揚感と充実感を覚えたこと。彼はそれを悔いている。
「日本にもこういう場所があれば」そんなことをしなかったかもしれない、と言いたいのだろうか。
高揚感や充実感を求めて人を殺すような事件は、現代日本でもあるのだと思う。だから「そういう場所」を作っていこうとする意思は響いた。昔、まだ宝塚と言うものを知ったばかりの時宙組エリザベートを見て「世の中にはこんな素晴らしいものがあるのに何故そんなことをしなきゃならないのか」と当時世間を騒がせていた凶悪犯罪に対して半ば本気で語っていたことを思いだした。(そんなこと言ってたのか)(若かったなあ)(さっきちらっと書いた「タナトスとエロス」にはそういう意味合いも見ています)
もう少し他愛のない話をすると、さえちゃんのキャラ立てが『ACHE』まんまでした(大野君!)。一人称は「僕」。ファシズムへの傾倒を気取り「薄汚い連中は抹殺してしまえばいい。気持ちいいだろうなあ」とうっとりと囁く魔性の少年あるいは少女。でも実のところは姉を同性の恋人に取られた気がしているあてつけなんじゃないの?とも見える子。
更にその「妹」を演じるさえちゃんが実際は「姉」であることからひろみちゃんにまで思いを馳せ、佐野くんも官憲に追われて国を捨てるんだなあとか連想が働いて我ながら本当に訳がわからなくなりました(笑)。
とりとめがないままにこの辺で。面白かったことが伝わるといいのですが。
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なかなか面白そうで知り合いのワタルファンの方も大喜びなのも納得です。
大野君好きだー(笑)
OG公演まで手が回らないただのヅカファンなので
ACHEを映像でちらっと拝見しただけなのですが
私は大野君にしろオギーにしろ
真意をある意味オブラートで包んでお手柔らかに提供する
宝塚での作品の方が(申し訳ないことだけど)好きなんですが
それは彼らが確固たる宝塚観と宝塚愛を持っているからに他ならないと思うのです。
大野君がこれからも宝塚でも良い作品を作ってくれますように…。