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2025/05/30 12:17 |
星組『リラの壁の囚人たち』その5
今回はギュンターとマリーの話をします。

深読みがうざいというより単に面白くないので畳みます。情報皆無です。




***


物語の山場、中庭の住人たちフランス人がドイツ軍に抵抗の意思を示し、ラ・マルセイエーズを歌う場面。ここでギュンターはマリーと対峙し、逡巡の末、思い切るように銃を収める。
ギュンターはセンター上手寄りに立って上手端のマリーを見ているので、彼の表情は上手側からしか見えない。

なので、手持ちチケットで一番上手席だった千秋楽。
初めてギュンターの顔をちゃんと見た。
そこにいたのは、普通の人間だった。愛する人の行動に驚き、戸惑い、その真摯な懇願を受け入れる、普通の若者だった。
そして、軍人らしくなかった。いや、軍人らしい姿というのがどういうものか本当のところはわからないけれど、少なくとも私がイメージする「ドイツ軍将校」らしくはなかった。
その顔を見て、何だか全てに納得が行った。

そうか、ギュンターは普通の青年だったんだ。
みやるりのビジュアルがあんな(漫画かアニメから抜け出してきたようなド金髪SS将校)だから一見騙されるけど、カノジョにいい格好したくて職権濫用してみたり、振られてカッとなったり、でも結局カノジョが好きだからよりを戻しちゃったりする、普通の男の子だったんだ。いや設定年齢いくつだか知りませんが。
パリに来て女性たち、特に商売女たちにはモテまくったけど、実のところ質実剛健堅実な気風のドイツ男である彼はそんな女たちには少々辟易していて、それで「この商売には向いてない」「子供子供している」マリーに惹かれたんだろう。幸せそうでない彼女を助けてやろうという親切心と、多少の優越感もありつつ、素直にマリーのことが好きだったんだろう。

そして多分、自分が軍服を着たドイツ人であり、その姿がフランス人の目にどんな風に映っているか、敬意を払われつつ恐れられ結局は征服者である、という自覚があまりなかったのではないか、とも思う。
マリーを連れに来て「考えさせていただけませんか」と彼女に言われた時の「え?」という言い方が、素で驚いている感じなのが非常に興味深かったのですが、断られると予想だにしていない、その要因が思い当たらないというのは要するにそういうこともあるのかなと。恋人がいると言われた時の「私はただの店の客か」という怒りの言葉も、「ドイツ軍将校の愛人」への抵抗感を考えに入れておらず、あくまでも普通の恋愛だと思っているかのような。

一方のマリー。
「私たちあまり幸せじゃなかったわね」と彼女はポーラに言うけれど、では、マリーの不幸とは何だったのだろう。
一曲ある彼女のソロは、昔は幸せだったのに今はそうじゃない、という嘆きを歌っている。(恐らくは親の庇護のもと)幸福だった日々から、何があったかは語られていないけれど性に合わない水商売で生計を立てなければいけないこと、でもそれも上手くいかないこと。そんな中、愛する人も愛してくれる人もいなくて、いつかそういう人と巡り合える可能性も信じられないこと。
勿論、ドイツ占領下のパリという世情も影を落としているけれど、基本的に普通の女の子なんだなあ、と思う。

そこへ、エドが現れた。「あなたはかわいい」「泣かないで」と優しい言葉をかけてくれた。「あなたにもきっと心から愛する人が現れます」と可能性を肯定してくれた。
光を見いだせず迷っていた彼女の心が、真っ直ぐにエドに向けられたのもむべなるかな。

きっと、ギュンターだって優しい言葉はかけてくれていたと思うけれど。でも、彼は店の客で自分はそこで働いている身だし、ドイツ兵とフランス女だし、と、いくつもの理由がその言葉を素直に受け取ることを邪魔したのではないかと。つかそもそもエドみたいな天才的天然タラシには誰もかなわないよ(苦笑)。

ギュンターのことも憎からずは思っていたと思う。ドイツ人にしては紳士的、と彼を評するラルダに対し、だから余計に、と答える姿、ギュンターに「私はただの店の客か」と言われて、違う、と呟くように否定する姿に、それは見てとれる。
でも、彼の好意が愛だという確信も持てなかったし、自分が彼を愛していると信じられもしなかった。それは状況のせいでもあるし、そうでなくても、男女の間にはよくあることで。
最初の、中庭にドイツ兵たちが来る場面、家宅捜索を始めようとするギュンターに、マリーは迷ったような困ったような表情をして、意を決したように「待ってギュンター!」と声を発する。客席からだとそんなに緊張していたら怪しまれるんじゃないかと心配になるくらいに。でもギュンターはあっさり信じて、いい気分で投げキスなんかして立ち去っていく。ここに、二人の「状況」に対する、ひいては二人の関係に対する温度差が表れているような気がしていました。

でも、やっぱりエドの愛は得られなくて。いきなり妹の話をしだしたあたり、エドにとってマリーは妹のように見えていたんじゃないかと。と言うかそもそも誰にでも優しいしひとだし。
そして、エドとポーラが惹かれあっていながら言い出せずにいることを知って、彼女はリラの壁の中庭を去る決意をする。踏み出せずにいるポーラの背中を押して。自分の恋が実らなくても、愛する人と大切な友人の幸福を願って。
結果的に、それがエドとポーラにとってよいことだったのかどうかはわからないけれど。
それができたということで、彼女は成長できたのだと思う。
「あまり幸せじゃなかったわね」と彼女は言ったけれど。幸せか不幸せかという問題じゃない。与えられた状況の中でも、自分の意思で決めること。自分の足で歩くこと。それを経験して、彼女は変わったのだと思う。

そして、これは舞台では描かれていないことだけれど。
エドを愛し、自分の気持ちに正直に全力でぶつかったことを経て、彼女はギュンターが自分を愛しているということに気づくことができたのではないか、と思う。
ギュンターに連れられて中庭に戻ってくるときの二人の様子、立ち止まって思いを残すようなマリーの表情には、確かに感情の通いあいがあったことが見えるもの。

16年後、中庭にはマリーだけが残っている。パラディの女将さんとして。
かつて「この商売は向いていない」と言われたマリーが、すっかり垢抜けたしっかり者のいい女になっていて、その後彼女は立派に人生を歩んできたのだろうなと思わせられて、感慨深く見つめてしまうのですよ。
(ここ、はるこちゃんの演じ分けがものすごく上手くて。物語前半の心揺れて思い惑う少女のマリーも、後半の愛することと愛されることを知ったマリーも、16年後の大人の女なマリーも、それぞれにきちんと生きていたなあと)

また倉庫に1本放りこんできました。舞台では描かれていない部分の、ひとつの可能性として。



実はあとジョルジュとポーラとエドの話もしたいのですがなかなか。文章書くのに時間がかかるようになってしまったなあ……。

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2010/06/13 23:32 | Comments(0) | TrackBack() | 宝塚・星

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